「夏伯つれづれ占記」カテゴリーアーカイブ

水泳女子の池江璃花子選手の名前を参考例として。「画数の数え方は、旧字体か新字体か」 

姓名判断で厄介なことの一つに、画数をどのように数えるのか、ということがあります。剣道や柔道や学問の世界に流派があるように、姓名判断においても流派によって画数の数え方に違いがあり、旧字体か新字体か、どちらで数えるかが必ず大きな問題として提示されます。一画違うだけで、その人の運勢が天地ほどに違ってくる場合があるのが姓名判断です。さて、いったいどちらで数えるのがいいのでしょうか。この問題に答えを出すとすれば、いい加減な言い方かもしれませんが、姓名判断をする占者が信じる方でやればいいとしか言いようがありません。あるいは様々な名前を両方の数え方で判断して、納得できる方法を自分の数え方として選ぶしか方法はないと思います。

こんな疑問の提示は、姓名判断を生業としている専門家には鼻で笑うような愚問かもしれませんが、事件や話題の渦中にいる人の名前を調べれば調べるほど、画数の数え方によって判断が違ってくることに驚かされます。たとえば、最近特にそのことを考えさせられた事例に、突然の白血病に見舞われた水泳界のホープ、池江璃花子選手の画数があります。池江選手の名前を旧字体で数えると、池(7)江(7)璃(15)花(8)子(3)で総画40となりますが、新字体では、池(6)江(6)璃(15)花(7)子(3)で総画37です。旧字体の総画40は「才能はあるが人望なし」、新字体の総画37は「力強い上昇吉数」。また、江と璃の合計画数で観る「人位」は、旧字体が22、新字体が21ですが、前者は「計算高く、見栄っ張り」、後者は「悪い状態が逆転して吉運となる。困難を乗り切る」という判断となります。

池江選手の見事な復活は東京2020でしっかり見届けることができました。また、誰からも愛され、スター選手だけが持つ華やかさも改めて見せてくれたように思います。それを踏まえると、池江選手の場合は新字体での数え方のほうが彼女の運勢にふさわしいように思われます。わずか一例をもってとやかく言うつもりもありませんが、いずれにしても数え方の違いによって大きく判断が変わってくる一つの例ではあると思います。すなわち、池江選手の場合とは逆に旧字体で数えた方がぴったりくるというケースも、もちろんあるということです。ゆえに、姓名判断においては必ず旧字体と新字体とで検証する必要があるというのが筆者の立場です。

名前は、名前だけでその人の運勢が見通せるとは思いませんが、しかしその人となりを一生にわたり語るのもまた名前ということを踏まえれば、たかが名前、されど名前であり、より幸運に導く名前を選びたいと思うのは当然のことでしょう。姓名判断はその命名においてその人の幸せを願うという使命があります。その人にふさわしい名前が付けられるならば旧字体や新字体にこだわる必要がないというと、あまりにも無責任でしょうか。しかし命名において大切なことは、何度も言うようですが、命名する人にふさわしい名前を選んであげることです。依頼者から命名する人の情報を数多く収集し、生年月日による用気術なども加味して、依頼者の希望を反映し、命名される人がその人なりの人生を過ごせることを願って名前をつけることが姓名判断術です。そして、そうした一連の命名作業の決め手として、伯典が用いたのが周易でした。

今回も話が長くなっていました。機会がありましたら、姓名判断における周易の活用法もご紹介できばと思いますが、易をたしなまれる皆さんならば伯典がどのように活用していたかを考えてみるのも楽しい作業なのではないでしょうか。不定期な掲載で心苦しいのですが、今回もお読みいただき感謝です。

(本稿は2021年に執筆したものです)

第一回「完璧な画数をもつ名前」 

命を授かった子供に、幸多かれと願い、より良い名前をつけたいと考えるのは親として当然でしょう。姓名判断の果たす役割も、そうした親の願いを反映した命名のお手伝いをすることにありますが、姓名判断によるより良い名前とはどのようなものかというと、これはなかなか難しい問題だと思います。運勢のよい画数ばかりを選んで命名すれば、その子にとっていい名前といえるのでしょうか。そこで今回は「完璧な画数をもつ名前」についての一考察です。少し前の事件になりますが、2019年、茨城県で起きた一家4人殺傷事件の容疑者で、2021月に逮捕された犯人の名前は、姓名判断的には完璧な画数の持ち主でした。「岡庭由征」(おかにはよしゆき)(当時26歳)。

●総位(姓名の全画数「岡+庭+由+征」)=31《社会的な地位を得る大吉数》

●人位(姓の部分の最下位と、名の部分の最上位の文字を合わせた部分、「庭+由」)=15《人格円満》

●外位(姓の最上部の文字と名の最下位の文字を組み合わせたもの、「岡+征」)=16《どんな仕事でも希望が通る吉数》

●地位(名前の部分だけ「由征」)=13《天賦の幸運を持つ吉数》

●天位(姓の部分)=18《夢を実現していく家柄》

非の打ちどころのない画数をもったこの名前は、おそらくは親が易者など姓名判断の専門家に頼んでつけてもらったものと思われます。岡庭の生まれた時に命名された名前は「吾義土」(あぎと)だったそうですが、アニメの中にでてくるキャラクターの名前と一緒ということで友達からからかわれ、それが嫌で現在の名前に変えたといいます。出生名の「吾義土」も総画41で姓名判断的には完璧をめざした名前です。このことからも、これらの岡庭の名前は専門家がつけたものと推察できますが、さて、この完璧な画数の持ち主は、あまりにも反社会的な事件を起こし、悲しい運命をたどることになりました。

完璧な画数の持ち主ということで思い出す事例がもう一つあります。職場が一緒だったNさんのことです。Nさんは仕事もそれなりにできて人望もありましたが、ある日突然職場に来なくなりました。聞くところによると、ノイローゼが原因で長期休暇を取ったとのことでしたが、職場に復帰した一年半後には奥さんとも離婚していて、以前はチームの先頭に立って活躍していた職場でも復帰後は影の薄い存在になってしまいました。なぜNさんのことを覚えているかというと、はじめて名前をみたとき、あまりの画数の良さにこんなに吉数ばかりが並ぶ名前を持つ人の運勢が気になっていたからです。しかしノイローゼで職場を長期離脱した時に思ったものです。親の希望が大きく膨らみ過ぎてつけられた名前(吉数がオンパレードで並ぶ名前)は、子どもにとって重荷になることもあるのかもしれない、と。

さて、あなたならば、「完璧な画数でつけられた名前」について、どのように考えるでしょうか。犯罪に走った岡庭の末路を踏まえると、姓名判断的には完璧な画数の名前であっても、名前だけではその人の人生の良し悪しが決まるわけではないという見方もできます。しかしその一方で、されど名前と思うこともあります。事件を起こした犯罪者や、不幸にして事件に巻き込まれた被害者の名前を観ていると、確かにそこには名前が背負っている運命というものがあることを感じずにはいられない事例に数多くぶつかるのも事実だからです。そこで思うのは、姓名判断の落とし穴ということです。

姓名判断とは、その子の成長にあった、穏やかな人生を後押しするお手伝いを、名前によってすることでしょう。生まれながらに体の弱い子にはその体の弱さをカバーするような画数を持つ名前をつけてあげるべきであり、持って生まれた才覚を発揮しそうな子にはそれを応援する名前をつけてあげることです。しかし、そうしたその子にふさわしい名前とは何かということを忘れて、画数の良さのみに目を奪われてしまうと、岡庭やNさんのようなケースに陥る危険性があるのではないかと思うのです。確かにたかが名前、されど名前ですが、名前はその人がその人として見られ、その人となりを社会に発信し、その人と一生を共にし、その人だけが持つ大切な情報です。そのときに、その人となりはさておいて画数だけにとらわれる愚かさの罠にはまってしまう、それが姓名判断の落とし穴だと思うのです。

さて、話が長くなってしまいました。読者の皆さんも多少なりとも運勢に興味があって伯典本舗をご覧いただいていると思います。ニュースをにぎわす渦中の人などをとり上げて、ぜひ名前や生年月日などで、その人の運勢なりを調べてみてはいかがでしょうか。運勢判断が語ることが腑に落ちることもあれば、あまりの齟齬に首をかしげることもあると思いますが、そうした事例に出会うことは占いを勉強するうえですべてご自身の財産になるはずです。今回は、では、どのようにしたら、その子にふさわしい名前をつけることができるのかについて考えを申し上げることができませんでしたが、このことについてはまた機会を改めて考えてみたいと思います。 ここまで、お読みいただきありがとうございしました。不定期な掲載ですが、次回も楽しみにしていただけたらと思います。