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伯典よもやま話 その9 「周易苑秘病占秘解」より

今回は、「周易苑秘病占秘解」の「はじめ」と本書のはじまりの部分を紹介します。本書は著書名の通り、病気占断に関する専門書です。内容紹介については本サイトの「もっと学びたい方へ」の本著のコーナーをご覧いただくとして、この本を読んでみて思うのは、周易の実用性の高さと、伯典の易者としての実力についてです。掲載された病占例だけでも115件あり、それぞれの件において伯典が的確な判断を下していることが分かります。科学万能の現在、医者の判断が鵜呑みにされがちですが、誤診や処理の誤りなどは、それこそ毎日流されるニュースです。こうした悲しい出来事を見るにつれ、改めて周易を暮らしのなかで活用するメリットを感じる次第です。しかし、対象は病占です。素人が生半可な知識で取り扱うテーマではありません。伯典のように、周易で病気まで専門に扱いたいという方には、キャリアを広げる必読の書といえます。

はじめに

『易』の解説書は汗牛充棟であり、近時いくつかの新しい解釈の書も読んだが、本田済著『易』(中国古典選朝日新聞社)が、食道をコトンと音を立てて通って胃袋に収まるように納得できた。そこで私なりに反芻して、日常の会語体に置き換えてみた。そして判断に必要な卦爻を得るのに、分占法を考案した。こうして得た知識を活用して病気の判断のやり方を次のように述べる。

『易』の根本的考えかたについて

『易』は一字で三つの考えかたをもつ。

第一に易簡(いかん)、やさしい。第二に変易(へんえき)、かわる。第三に不易(ふえき)、かわらないである。

易簡は薬や健康食品について、利用者との相性や効果などに得た卦爻で、必要ないとか、いらないのではないかとみる。つまり余分なものを用いないのが最も簡短だからである。

しかし、熱があるとか、咳や痰が出るなど病気の人は薬を用いるのが簡短に当たる。私は予防的医療には慎重であって、インフルエンザやお多福風邪の予防注射など、幼児から高齢者まで、数多くの占断で不要というばあいが多い。幼児、生徒や学生、または社会人がほとんどであるが、手を洗うこととうがいで事なきを得ている。

変易は、自分が変わるか、相手が変わる意である。自分が変わるのは、病気なのに薬嫌いの人がいる。風邪で薬を用いないのは勝手だが、まわりの人は迷惑である。外出するからには、考えをかえて薬を用いないといけない。何事でもやりかたを間ちがえないとすべて結果がいい。

相手がよいほうへ変わってくれることはごくたまにしか期待できない。しかし、期待はずれの変わりかたはよくある。

健康のつもりでいた人が急に体調を崩すことがある。ふだんは医師とのつき合いがないので途方にくれる。このばあい買い薬などに頼らないで受診するといい。これが変易に当たる。

退院したあとの処置も大事で、いい加減だと、ぶり返したり余病が起きたりする。穏やかに恢復するのか、目先だけいいのか、ぶり返すのか、余病が出るかなどが変易である。

不易は、変わらない。だめなものはだめの意。どんなに危険な症状でも蘇生(たす)かる人は蘇生かる。または治療法を変えない。また新薬は用いないなど。病占に不易の占める範疇はひろい。不易の解(よ)みを間ちがえると、やらなくてもいい処置をして、後遺症に悩むことになる。たとえばアトピー症などのばあいである。

分占法について

昭和29年から易占を業としたが、当時の占法は病人がよくなるのか、よくならないのか、医薬の処置がいるのか、不用か、どうしたらいいかまでふくんで一筮で吉凶の判断をした。これでは初心者の私には判断がむつかしい。この占法は誤占とか正解以前の問題であった。そこで

(1)このまま放っておく、または手持ちの薬くらいで癒るように

(2)受信したら早くいい効果がある。病気がはっきりしていていい処置ができる

(3)どう処理したらいいか。軽症か重病なのか、方針

と考えるようにした。これは自分が判断に苦しむので得た智慧である。この占法によって判断への自信が非常に大きくなり、それまでの判断の呪縛から解き放たれて、過信と感じるぐらい闊達になった。相場や投資もまわりがあきれるほどよかった。もちろん誤占もあったが、それを十分にカバーするだけのいい結果を得た。占断篇は、分占法に用いられるように述べた。

易は転ばぬ先の杖である。だから自信のある人は、杖を軽くみる。いろいろあった人はすがりつく。これら一つの生きかたは間ちがっているように思える。健康であったり、ふ つうにやっている人が上手に用いると効果の上がるのが杖である。

入門篇は判断に必要な約束ごとを基本から詳述した。

占断篇は卦辞、爻辞をすべて理解できるように精述した。

占例篇は判断例である。115例を用い構述した。

読者の病気占断に役立つと確信して、 世に問う小著である。

平成14年8月吉日                     著者

 

『病占入門』

易を病占へ活用するために

本書は、病気を感じる人が、このまま放っておいて心配ないか、早く医師に診てもらうといいか、どうしたらいいかをテーマとして、占うことを一つの柱とした。

すべてのもの事には、必ず裏と表があって、たとえば検診で問題のなかった人が、急に体調が崩れるという話はよくあって、一通りの検査ぐらいで安心するのはあまりに無防備といっていい。

この反対のばあいは、放っておけばなんでもないのに、あわてて医師に診てもらって、病気を作られてしまうことだってある。

そこで易を訓(よ)む人は、易の占断を賢く使うことで毎日を快適にすごせるようにしたい。

ことに乳幼児など、血色だけで判断をせまられるようなとき、

(1)放っておく(手持ちの薬でいい)

(2)受診する

(3)方針

このやりかたはこれまでどれほどの効果があったか、数えきれない成果をあげている。

次は、いま侵された、または罹った病気は

(4)悪い病気でないように

(5)軽く考えられない悪い病気のように

(6)どういった種類の病気であるか

の3点セットである。このばあい、占筮の結果を大事にしないと悔いをのこす。

理由は、医師の診断と易占の結果がちがうからで、易は「悪い病気ではないよ」といっても、医師は「悪い病気」という。このばあい医師は、本人のものより、他人のよく似た症状のデータをとりあげたり、次つぎとよく似た病気の話をして追い込んでいく。

なぜこういう問題が起きるかというと、患者が医学と医師に気おくれを感じるから、としかいいようがない。

本書は、易の入門書ではない。病気を判断する専門書である。だから易を知らない人が読んでもすぐには役に立たない。

それにしても占断法を書いた私と、本書を参考にされる読者との間には、判断力や解釈、卦爻の使いかたといった点に、距離があると思う。そこで、その距離の縮めかたについて次のように考えてみたい。

易簡(いかん)

易の判断に、はじめは一番簡短な方法を考える。病気なら医師に診てもらうことである。ところが近ごろの医師は、聴診器は使わないし、触診もしない。3分診療だから問診も簡短で、すべてを機器による数値で片づけてしまう。

私の生徒に、肝機能の数値の高い人がいて、医師はつねに酒を控えろという。この人はたまにしか酒を飲まない。最初は忠実に守ったが、毎度の話だから笑って聞いている。もともと肝機能の高い人らしい。こんなふうでは、受診するのも考えものです。

(以下本文に続く)

 

 

 

 

伯典よもやま話 その8 「赤ちゃんの命名法」から

「赤ちゃんの命名法」は昭和57年に主婦の友社から「はじめての赤ちゃんシリーズ」の一冊として発行された、その名の通り、姓名判断術をまとめた実用書です。時代は変化しているのに、略字はよくない、旧字を使うべきだ、というような過去の判断方法を退け、誰にでもわかり易く、生活の知恵として使える判断方法を紹介しているところが伯典流です。

それにしても実際のところ伯典のところには赤ちゃんの命名から改名まで、どれだけの依頼があったことでしょう。この著書に書かれているのは画数に基づく判断術ですが、実際には四柱推命や易なども駆使して命名や改名に取り組んでいました。名前を付けてから20年も経ったてから、子供が無事20歳を迎えたというお礼状が届くこともあったといいます。こういう連絡をいただけるのは易者冥利に尽きたのではないでしょうか。

名前は気になりはじめたら確かに気になるものです。改名することで飛躍する例も実際あるでしょう。芸能人では名前がその人の印象を決めることもあります。残念ながら、本書は現在出版されておらず、出版されていない著書からの引用で申し訳ありませんが、今回は「赤ちゃんの命名法」のなかから、「はじめに」と「赤ちゃんの名前を選ぶ前に」の一部をご紹介します。昭和57年と30年以上も前に書かれたものですが、現在にも通用するような指摘がなされていると思いますが、いかがでしょうか。

 

幸運を呼ぶ名前の付け方「赤ちゃんの命名法」

はじめに

生まれたばかりの赤ちゃんは、食欲、睡眠欲の二つしか持ち合わさない、本能だけの人間ですが、一年、三年、十年とたつうちに、どんどん成長していくのです。

そして時代の流れと言いますか、このごろの少年や青年は、自分の将来について、異常とも思えるほどの関心を持ちます。これはとてもいいことでしょう。

しかし、自分の将来に関心を持つわりには、努力を避ける傾向が見え、どことなく他力本願的な考えが強く、こうしたムードはかなり低年層にまで及んでいるのであります。それだからこそ、今日のような占いのブームがきたのではないでしょうか。

このためでしょう。私は、考えてもみなかった年少者から、改名の依頼を受けてとまどうことも再三です。こんな時に私は、両親が愛情をもってつけた名前だから、もう一度、考えなおせないか、と聞きますと、その答えは、親が、もっと生活とか、子どもの将来について真剣であったなら、こうした「姓名学」の存在くらい、知っていてもよかったと思う、と言います。

とにかく、だんだん自分の意志が身についてハッキリしてくるだけに、こうした感情は抑えても無理です。

この本には、赤ちゃんのよい名前を選ぶに必要なことは、秘伝とされていることまで、全部、書いてあります。

そしていらないもの、役に立たないものは捨て、重点的に、読みやすく、すぐ名前を選ぶのにお役に立つようにまとめました。

しかも、これまでは、羊の肉をかかげて狗(いぬ)の肉を売る感じのありました「姓名学」を、体験的な積み重ねによって会得する「術」、っまり「姓名術」に改めたのです。

時の流れは、休むことなく進んでいますのに、略字は意味がない、という考え方では、時代にマッチした開運は得ることができません。運命術は、人間が考えた“生活の知恵”的な開運術です。

ですから、この本は名前に関する生活の知恵の集大成です。

どうぞ、赤ちゃんのしあわせのためにお役立てください。それを私は、心から望んでいるのです。

昭和57年4月

 

赤ちゃんの名前を選ぶ前に

■愛をこめて両親の選ぶ名前

あなたが、胸をはずませて挙式された日から、今日まで、どのくらいの月日が流れているでしょう。

そしていつか若いあなたの、父となり母となる日が、すぐやってきます。

男の子、それとも女の子? まだ見ぬわが子の姿を想像して、たくさんの名前を選びながら、そのどれにもきめかねて、迷っている両親の様子が目に見えるようです。

わが子に対する愛は、盲日的であるなどと言われますが、これはごくあたりまえのことでしょう。

ですから、愛児の名前も、まず健康であってほしい。

こうした立派な人がいたから、できるだけそうなってほしい。

親や兄弟、姉妹に迷惑をかけないよい子になってほしい。

など、たくさんの希望と愛をこめて選ぶものです。

 

■なぜ改名するのだろう

あなたの愛と希望の象徴であるお子さんは、だんだん成長するにつれ、個人としての意志を身につけてきます。

これはあなた自身についても、同じようなことが言えるはずです。両親の考え方から離れて、あなただけの(それがよかったか、惡かったかは別として)考え方を持つようになっていきます。

そんなとき、ふとしたはずみで、自分の名前に、ハテナ? という疑間を持つ人が、案外、多いものです。

なんで名前に疑間を持つのか、これはとてもむずかしい間題ですが、世の中には、昔からつづいてきた“生活の知恵”とも呼ぶ、とても便利なものがあり、これの持つ精神的な晴示に、強くひかれるからでしょう。

またもう一つの考え方は、そうしたものがあるのに、なぜ、両親はその便利なものを使ってくれなかったのか、よし、それなら自分の手で考えてみたい、という積極的な開拓精神から出発していることもあるわけです。

 

■希望の持てる名前へのあこがれ

人間は、とても迷いやすく、そして弱いもの。健康で、仕事も順調に運び、家庭も円満なら、胸を張って堂々と歩きますが、反対に、病気で長く寝るとか、努力するわりにうまく仕事が運ばなかったり、家庭に病人が出たりしますと、宗教にこってみたり、易者の門をたたいたりするものです。

既成の宗教では、積極的な開運はとても望めそうになく、新興宗教がさかんなのも、それを裏書きしているとみていいでしょう。ところで、易者の門をたたきますと、いちばん手軽で、効果の多そうなのが、自分の名前を考える“姓名術”です。

とにかく話を聞けば、とても希望が持てます。人間は一生の間、まったく山や谷のない 人生を送ることはできないもので、それだけにツキのないときは弱いものです。これは、善人が必ず幸福になれるわけでもなく、悪人がきっと滅ぶとはきまっていないからでしょう。

ですから、弱っているときは、ワラをもっかみたくなり、希望の持てるものには、どうしても目が向いていきます。

 

伯典よもやま話 その7 「用気術」から

用気術」は、1977年に主婦の友社から初版が発行されました。以来、2017年の現在まで愛読者が絶えない人気の書です(2008年より日本開運学会から発行)。人気の秘密は、方位における「なぜ」の部分がわかりやすく、納得がいくように解説されていることでしょう。たとえばなぜ方位盤は北と南が上下逆さまなのか、なぜ四緑に結婚の象意があるのか、など。これまでの方位についての疑問がすらすら解決することに目をみはるはずです。

さらに「傾斜鑑法」や「同会判断術」など、これまで秘伝とされてきた占術が惜しげもなく解説されることも人気の理由のひとつです。読者はこれらの占術が即実践で使えることに大きな手ごたえをもつはずです。

また、周易を愛好するものにとっての必携の書としてもおすすめできます。なぜなら、用気術の解説を通して、易の八卦すべての要素が詳細に語られているからです。こうした易との関係で語られた方位術の本は極めて珍しく、易と方位術の密接な関係がわかることによって、易の八卦の意味についての理解もより深いものになっていくはずです。

理解前置きが長くなりました。今回は「用気術」の「はじめに」と冒頭部分をご紹介します。

 

はじめに

人間の強弱が、純粋な力の戦いだけできまりのついたのは、有史以前のことで、少なくとも交換経済の時代にはいってからは、むしろ知惠が優劣を決定したようです。

そうなると、知恵とそれを活用する場がほしいと考えるのは当然です。その時代の知恵とは人より早く明日を予測する力、つまり、占いです。こうした要求にこたえて、占術の根本ともいうべき「易」が生まれました。ところが、易は難解で、普通ではなかなか理解できません。そこで、もう少し簡単なものはないかと、あれこれするうちに「九星術」や「干支術」などが登場したのです。

これらの新しい占術は、今よりはるかに難解でしたが、時代が下がるに従って、自分たちに都合のいい部分だけがクローズアップされて、「九気術」「九星法」などの形にまとめられました。

「用気術」とは、易の八卦を基にした「気を用いる術」です。

用気術は、「易経」を基点としているので、易を知らなければ、理解はむずかしいでしょう。

本書は、「易経」の解説から始めて、なぜ南を上に、北を下にした盤を用いるかの理由や、なぜ二黒は南西を定位とし、四緑は東南を定位とするかなど、これまで他の類書ではとり上げなかった、用気法の根本理論をわかりやすく解説しました。

また、これまでの九星法や九気術、あるいは方位の本には書けなかった「傾斜鑑法」や「同会判断術」といった判断法をすべて公開し、あなたの一生の連勢や性格、毎年の運勢判斷ができるように書きました。

もちろん、用気術の特徴である、どの方位へ進めば開連し、どの方位を用いれば災厄にあいやすいなどの判断をする「用気法」についても、詳細な解説をしてあります。

本書によって、自己の能力を正しく評価し、またいついかなるときに積極的になればよいか、方位はどのように用いればよいかを理解してください。そして、少しでもむだの少ない人生を送っていただければ、幸いです。

 

用気術へのいざない

用気術とは何か

用気術とは何かということですが、用気術といってわからないかたも、気学、あるいは方位術といえば、この占術の概略がおわかりになるでしょう。ちなみに、方位術、九星術、気学、真気学と呼ばれているものは、すべて同じ原理と共通の判断法をもとにした占術です。

これをひと言でいうと、人間がこの世にはじめて生を受けて誕生したその年、その月の「気」を土台として占う占術といえましょう。

では、その「気」とは何かといいますと、人間の生活と切り離すことのできない必要不可欠のものに大気があります。人は大気を呼吸して生き、その大気の中で人間らしい形を保っています。それだけに、この大気の作用に順応していれば、万事順調に事が運びますが、これに逆行すると、非常に困難な状態になる、というより生存不可能となります。

用気術を生んだ古代中国人は、こういう肌にふれて感ずる大気ではないが、それと同じように人間を包み、それと同じように人間の生活に大きな作用をする「気」というものがあると考えました。そして、あらゆる物の形質はすべてこの気から成り立ち、その気が動、往来、循環することによって四季の変化が生まれ、万物の成長収蔵が導かれ、人間関係の成敗得失が誘引されるとしたのです。つまり、その気は絶えず往来、循環してやむことがなく、しかも、その往来、循環は一糸乱れぬ秩序に従って整然と行なわれると考えたのです。

この考え方の根底となっている「気」が、用気術でいうところの気です。

ところで、この気は絶えず往来、循環していますから、人間がこの世に生まれ、最初の産声をあげたときにふれる気は、当然生まれた年月日によって異なります。その相違を運命判断の材料としたのが用気術です。つまり、生まれた年、月に働いていた気が、その人の一生をきめる先天運となる、というのが用気術の考えです。

ちなみに、このように、生まれた年や月、または日や時間を運勢判断の材料とするものとしては、ほかに四柱推命術(しちゅうすいめいじゅつ)とか西洋占星術(せんせいじゅつ)があり、これらを総称して周期性占術といいます。なお、人相術や手相術などは統計的占術といいます。

しかし、人の一生は先天運だけによってきまるものではありません。確かに、富裕な家庭に生まれるか、貧困家庭に生まれるか、あるいは肉体的欠陥を持って生まれるか、健康な体に生まれつくか、すばらしい天分を持って生まれるか、そうでないかといった先天連はその人の一生をなんらかの形で規制するかもしれません。が、世の中にはせっかくの先天運を生かしきれない人もいれば、逆に不運な環境からみごとな飛躍をとげる人もいます。こうした後天的な運勢の変化を、用気術では、時々刻々と移り変わる気の変化、あるいは移転や旅行などで場所を移したことによる気の変化によるものとみなします。

つまり、生年月日の異なる人間に異なった気が働いて、そこに独自の性格や宿命的運勢があらわれ、次いで、移転や旅行など、毎日の行動の結果が新しい気の変化を呼んで、それに相応する新しい運命を開く、というのが用気術の根本理論なのです。

では、先天運を決定し、後天運を支配するそうした「気」というものをどうやって具体的に識別するか、それは形のない、肌で感じることのできないものだけにむずかしい問題です。これを解決したのが、一白水性(いっぱくすいせい)、二黒土性(じこくどせい)、三碧木星(さんぺきもくせい)、四緑木性(しろくもくせい)、五黄土星(ごおうどせい)、六白水性(ろっぱくすいせい)、七赤金星(しちせききんせい)、八白土星(はっぱくどせい)、九紫火星(きゅうしかせい)という九つの星に、気を配分する方法です。

この九つの星を九星といい、この九星を使った占術として九星術があります。用気術はその九星術を土台としています。

 

 

伯典よもやま話  その6 横井伯典著「あたる易」から

「あたる易」(平成22年発行)は、易がはじめての人でも一通り読めば即占えるように書かれた実用書です。今回はその「あたる易」から、まえがきと本文の一部をご紹介します。気学や四柱推命、人相にも精通しながら、なぜ伯典は周易を選択し、生涯の友としてきたのか。その理由が読み取れる部分だと思います。

まえがき

わたしは、日本獣医学校の給仕をスタートに、四十三回目に就いた仕事が「易占業」です。そのあいだわりと長かった仕事は裁判所書記、検察事務官、経済安定本部・経済査察官などです。短かったのは大工の手伝いで三日でした。

小さな事業に失敗して、どうしてこうもころころ変わるかをかんがえていました。たまたまその時、占いの本を読んで、著者の中村文聰師に弟子入りして、昭和二十九年八月から今日までつづけてきました。実に相性のいい仕事でした。

わたしの易占は、実践型を学究型でささえるタイプです。目的は的中率を100パーセントにすることです。あらゆる問題に挑戦するので、広く浅い常識が必要です。

易は占的(せんてき)=占うことの本質をしっかり把握して占筮すれば、初心者が本書を参考にした実占の結果は、絵に書いたように的中します。なんともたいへん有効な占断術です。

易占は、自分自身の生活をコントロールする燈台の明かりで、あわてたり、怒ったり、焦ったりしない。買い物、食事、デート、子どもの躾、余計な口出しなどの吉凶占をして、日常生活をゆたかにするたいへん便利な、生活の知識です。

じっくり読んで、実践してみましょう。読者の生活を充実したものにする確信があります。身近において活用されるときっと、お役にたちます。

 

「易とは?」

  • 易学と運命術

占いは、たいへんさかんです。まさに、占い天国ニツポン、といえるくらいさかんです。そのせいですか、占いに権威をもたせようとして、人相学とか家相学といいますが、これはおかしい。

学=いまあるものの全部か、またはその一部とか、またはそれらを別の面からかんがえ、系統的に知ろうとするものが「学」です。

こうしたかんがえ方から「方位・家相・手相・人相・印相・墓相・四柱推命」といった占い方をみますと、学としてみるには足りない点が多すぎます。だから以上のような占い方は「術」と呼べばいいでしょう。

術=体験的に繰り返しているうちにでき上がったもの、とかんがえていいでしょう。人相、手相なども人相学、手相学というより、人相術、手相術といったほうが、はるかに神秘的ですし、なにかその人だけのものという感じがして、信頼感がもてます。

ところが、本書の原典である「周易」は、学問です。それも古典です。五経(ごけい)といわれ、易経(えきけい)、詩経、書経、春秋、礼記(らいき)をいいます。ですから、これまでにもたくさんの学者の手によって、相当に研究されていて、現在、一般的な解説書として売り出されている書物に、本田済「易」(朝日新聞社刊)・後藤基已「易経」(岩波文庫)・鈴木由次郎「易経」(集英社)があります。*1

少し話が固くなりましたが、周易はもともと占いの書として使われていたらしく、めんどうな約東事がたくさんあります。しかし、そうしたことも整理されていますから、今ではとても利用しやすくなりました。

いずれにしても、占いを学問というのはおかしな話しですが、周易という学の尾っぽをかじって成り立っているのが、「易占い」であることは確かです。

  • 占術と個人

「まえがき」にも書きましたように、占いを覚えたのは、自分自身のこれからの運命がしりたかったためです。それだけに、昭和二十九年七月の終りから占い術の勉強をはじめたときは、それはそれは夢中でした。まずはじめは、それまでに多少耳学問でききかじっていた<方位術>、つまり気学です。

方位術は一白から九紫までの九星を使って、何年生まれの人はどっちの方位へ転居したり、行ったりしたらより開運する、というものです。たとえば大正十四年四月二十五日生まれの人は、生まれた年(本命=ほんめい)が三碧(さんぺき)であって、四月生まれ(月命=げつめい)も三碧になります。それだから、吉方として使える方位は、一白(いっぱく)、四緑(しろく)、九紫(きゅうし)の回座しているところである。といったものです。

ところが、昭和二十九年にしても、今日にしても、読者がご承知のような住宅事情で、そんなに簡単に移転することはできません。それに、そうちょいちょい移転していたら、引越貧乏になってしまいます。それと、また不思讓なことは、こうしたことをよく知っている占い者が吉方を使って行動することを一向にしません。口で言うだけで、実行しません。

そうしたことに気がつきながらも、だんだん深入りして研究して行きますと、方位術の本来の使命は、人を移動させないためのもの、といったことがはっきりします

昔、中国では、広い国土にいくつもの国がありました。その国にはそれぞれ王だとか、君主がいたわけです。ところが、自分の子供が增えるにつれて、その子供たちにも土地を分けてやります。これを「封建」といいました。当然のことですが、できのいい子、悪い子といて、悪い子が君主になれば、税金の取り立ても厳しく、人民は安心して生活できません。そこで、土地を捨てて逃げ出します。こうなっては君主の生活も成り立ちません。だから、あの手、この手で人民の逃亡を防ぎました。

殺したり傷つけたりもしたでしょう。でもさっぱり効果がなく、たくさんの君主は困りました。そこへ知恵者が現われて、人間は精神的に弱いものだから、呪術によって逃亡を防ぐのがいいだろう。それには数字の基本は一から九までだし、それに中国古来の陰陽五行説をからませて、現在の方位術の基本になるものを作りあげたと思います。そして、一家そろって逃げだしたら、必ず悪死する、というかんがえ方を流布したと思います。

「苛政は虎よりもこわし、むごい政治は虎よりもおそろしい」といいますが、この苛政からさえ、精神暗示によって逃げることをちゅうちょしてしまいます。こんな形で使われたと思われる方位術=九星術が、今では開運秘伝の法として流行しています。

そうこうしているうちに、暦法が発達して暦が完備して来ますと、今度は生年月日時間による四柱推命(しちゅうすいめい)術が誕生します。なぜこうした運命術がさかんになるかといいますと、方位術ではあまりに大雑把すぎて、個人差がつかみにくいためでしょう。それだけに、四柱推命術はたいへんめんどうな約束を土台として、ますます複雑化しました。

一方、人相術は人相術として、細かい部位にまで立ち入って個人の吉凶を見極めようと研究されました。このほかにもあらゆる占術が生まれ、駆使されました。

ところで、そうしたたくさんの占術を勉強していて気のつくことは、それらのいずれもが、なんとか明るく楽しく生活できる道を得たい、という目的のために発達したことです。

だから占術の発達には善意はあっても、悪意は全くありません。ただ、利器も凶器となるように、占術も用いる人によっては、社会に誤解を生じるだけです。これはいずれの場合でも同様でしょう。

わたし自身にしても、たくさんの占術を五十五年もやって、近ごろになってやっと気のついたことは、人相が悪くても、家相が悪くても、使った方位が悪くても、また名前が悪い場合でも、人間は生きていかなくてはなりませんし、事実、ちゃんと生活しています。四つも五つも悪い条件が重なって、なお大成功している人はたくさんいます

なぜでしょう。簡単に言えば、物のかんがえ方が正確だからです。時流を察し、相手の気持ちをのみ込んで、むりをしない生き方をくり返したら、人はだれでも必ず成功します。これだけは間違いのないことです。病気にだってやられません。きっと天寿を全うできます。だから、全世界の人がこうした生き方をしたら、占術は無用の長物で自然消滅するでしょう。

ところが世の中には、楽をしていい生活をしたいとか、ついむりをするとか、かんがえないうちに行動するなど、雑多な人がたくさんいます。こうした人たちは、なにか精神安定剤が欲しいわけですから、そのために占術は永久に亡びることはないでしょう。

このように永続きする運命にある占術にとって、一番大切な問題はなにか、と言えば(個人差を尊重すること)です。十把ひとからげにして、何年生まれと何年生まれの男女の相性は凶である。または吉である。といったものではありません。また、生年月日が同じなら、だれも同じ運命をたどるはずです。しかし、現実の問題としてこうした事実はありません。これなど個人の成長環境を無視した話しです。

ただ、人相術とか手相術などは、ここにいう個人差をたいへん重く見ています。目の形、鼻の形、口の形、また耳とか眉など、その他いろいろな部位によって吉凶判断ができます。手相術にしても、個人の手によって吉凶判断を加えますから、生年月日によるものより、はるかに個人差を大切にしている、と言えます。

しかし残念なことに、吉凶判断はできても、その原因となるものが、多くは個人の性格に由来するため、開運するための必須条件として、性格改造をやらないといけません。これは困難、長所をのばすことはできても、短所を改めることはまず不可能ですし、むずかしい。せっかく開運の指針をみつけながら、運命的な受け取り方だけに終わってしまいます。ところがたくさんの占術の中で、一つだけ個人差を尊重し、開運に導く占術があります。それが易です。

*1 H29年7月現在、いずれの書物も販売されているかは不明

 

 

 

 

その5 伯典の活躍をルポしたアサヒグラフより

占いブームが世間を席巻した1970年代後半。その渦中で伯典も易者として不動の地位を築き上げていく。当時、グラフ誌として人気ナンバーワンだった「アサヒグラフ」(朝日新聞社発行 1980年1月11日号)でも占いブームを取り上げ、伯典の占いに対する考え方や活躍が大きく紹介された。今回はそのときに掲載された伯典活躍のルポ全文を紹介します。ブームだからと盲目的に占いを信じる人たちや、怪しげな占い師たちが活躍する世相を一刀両断にするとともに、易に対する情熱などが熱く語られています。なお、本文は当時を実感していただくために雑誌をコピーしたものを掲載しています。一部読みにくい部分もありますが、予めご了承ください。

伯典よもやま話_アサヒグラフ全文

 

その4 『現代の易』占例編の冒頭あいさつより

占例集は判断例の宝庫

 

現代の易

周易を行う人が渇望する書物は、判断例の宝庫である占例集です。ここに収録した占例集は多くの資料から厳選した占例を集めたユニークなものです。

第一に無理のない判断を集めました。鬼面人を驚かすといった豪華さはありませんが、コツさえ覚えたら誰にでもできるやり方のものばかりです。

第二に卦辞、彖(たん)伝、爻辞の解釈からの判断が中心です。卦象判断はほとんどありません。あったとしても天気の占例の一部です。ですから皆さんもすぐにまねることが可能です。

第三に判断のやりにくい日筮について書いてありますが、これは皆さんを日筮判断に誘うためです。日筮はその日のうちに起こる最重要課題を暗示するものです。それだけに生活が複雑な地位にある人の場合、とてもむつかしいものです。

また、毎日の生活のなかには、後日になって吉凶を生ずるその種をまくものもあります。日筮にはその日のうちに解決できる問題のほかに、このように後日になって問題が生ずる場合も含まれてきますので、たいへんむつかしいものです。1か月間占って2日も当たったら大正解です。

それならなぜむだに近い努力をするのかといいますと、日筮をノートで整理していくうちに、それぞれの卦と爻の特徴をつかむことができるからです。

たとえば日筮に「解上六」を得た日、約束した人が一時間も遅れてきたとします。次に約束した人が時間どおりに来るようにと占って、「解上六」を得たら、遅れてくる判断ができます。ただ遅れる時間は相手によって差があるので、日筮に得た1時間をそのまま使うことはできません。しかし確実に遅れて来るでしょう。どうしてそうなるのかは、解卦と上六の爻辞から少しずつ理解できると思います。

自分の占例をたくさん持つ人は、確実に占断術が上達します。たとえ結果的にはずれても、なぜはずれたかが検討できるからです。

そのためには、本書を読むとき、なぜこういう判断をするのか、と疑問を持って読むことです。さらさらっと読み流さないように、そして本書をまねて書いてみましょう。意外にむつかしいものですよ。

これからも私の占例はどんどん増えます。皆さんも自分なりの占例集を作ってみませんか。

*『現代の易』については「もっと学びたい方へ」のなかの「横井伯典の本」をご参照ください。初心者を対象として書かれた通信講座用テキストなので、伯典流周易の実践エッセンスを身につけるには最適の書です。

その3 『現代の易』占断編の冒頭あいさつより

 

■よりよい占断技術を身につけるために

占断の読み方・考え方

 

現代の易

 

占断編は文字どおり占断技術を身につけるためのものです。私の易占家としての経験を100パーセント活用して、運勢から不慮運判断までの17項目にわたって詳解してあります。

ここで注意したいのは、占断例はあくまでも卦と爻の考え方を示している点です。

たとえば、運勢を占って「乾初九」を得た場合でも、占った人の年齢、社会的地位によって、判断の内容に濃淡があるということです。60歳で大会社役員という地位にある人なら、ここ当分は行動することがむつかしいでしょう。新しいことについては見送るべきです。具体的には家の新築とか、議員への立候補などはうまみがありません。きっと失敗します。若い20歳の人なら恋愛へ深入りすることとか、海外旅行などの無理は慎むべきでしょう。このように判断します。

占断するには占断のやり方があります。それについては乾卦から順を追って詳しく説明してありますので、ていねいに読んでください。飛び飛びの拾い読みはしないことです。

次に易占術上達のコツは

①すべからく多筮であること

②当たるとかはずれるとかを考えないで答のはっきり出るものを占うこと

③自分の立筮した問題についてはノートにきちんと整理して参考にすること

④そして自分なりの易の考え方をまとめて忘備録を作ること

です。

私のたくさんの弟子の中から、いい判断をして伸びてくる人は、例外なしに自分なりのノートを持っています。そこには聞いた話、読んだ話、判断した結果などがびっしり書かれています。

私自身、易を多少でも理解できたのは、周易の本を何回も書き改めたからと考えています。講義用の本ですが200部だけ作って、品切れになると新しい解釈と判断で書きかえています。はじめのメモからいえば今回のテキストで8回書きました。

受講生の皆さんもめんどうからずに、自分のノートをしっかり作りましょう。それが上達の早道です。

占断の読み方のコツは、どうしてこういう判断をするのだろう、と考えながら読むことです。表面だけなでるように読むのでは、彖(たん)伝や爻辞の解釈をうまく自分のものとしてつかめないでしょう。

深く読んで、不明なところはスクーリングのときに質問しましょう。不明録もつくってみるといいでしょう。

易占術は必ず進歩上達するものです。

*『現代の易』については「もっと学びたい方へ」のなかの「横井伯典の本」をご参照ください。初心者を対象として書かれた通信講座用テキストなので、伯典流周易の実践エッセンスを身につけるには最適の書です。

その2 『現代の易』基礎編の冒頭あいさつより

 

■易にはじめて接する人へ

周易の学び方・考え方

 

現代の易

 

周易はたくさんある占断術の一つです。しかし経典があり、筮具を用いる点で他の占術と違っています。判断できる範囲は他の占術と似た点もありますが、精通したら、たとえば株価の判断ができるなどの点では偉大な力を持った占術です。株価の判断は他の占術では不可能です。

周易の占術と、他の占術との決定的な差異は「どうしたらいいか」がわかることです。周易でも、他の占術でも「どうなるか」という点は同じくらいに把握できます。

一年の運勢とか、目先の運勢などは時間が経過すれば、それなりの答えが出るものです。生死はもちろん、吉凶禍福に至るまで同じことが言えます。それだけに希望する学校に合格するかとか、運勢がこれからどうなるかなどの占断がどんなに正しくできても、結果的にみたらたいした意味を持ちません。結局は、「どうするか」です。

占断で最もたいせつなことは「どうなるか」ではなくて「どうしたらいいか」です。占う時間内(一年間とか一か月間とか)をどうしたら平穩順調に、大難を小難に変え、小難を無難に過ごせるかです。

人間は生きているかぎり、生き方というものが必要です。そして人間の意識は年齢とともに変化します。若い時代の正義感は年齢によって老獪(ろうかい)さに、または狷介(けんかい)さに変わるでしょう。そして運勢という自分の生き方は意識によって、吉にもなり、凶をも招きます。

周易は意識の軌道修正術です。易が、あなたの考え方はよくないからこうしたらどうですか、と教えてくれます。また、甘い、甘い、もっと厳しく考えて、と注意してくれます。そのとき、易の忠告に従うのが易を読む人のすぐれた態度です。

それにはなんと言っても、卦辞をよく読み、爻辞を理解することです。周易には経典があるので、経典の解釈ができないと、判断はもちろん、占断も絶対にできません。

ですから、乾卦から未済卦まで理解できるまで読みましょう。そして易の言うことを処世の知恵として理解し活用しましょう。

周易を理解することでいい判断が生まれます。いい判断がまとまれば正確な占断ができます。

飽きないで、ゆっくりと読みましょう。あせることなく読みましょう。

なお、「易経」の読み下しについては、いろいろな本を読みましたが、本田済著『易』(朝日新聞社刊)が最もわかりやすく、無理のない読みと解釈ですので、これによったことを、ここに断っておきます。

*『現代の易』については「もっと学びたい方へ」のなかの「横井伯典の本」をご参照ください。初心者を対象として書かれた通信講座用テキストなので、伯典流周易の実践エッセンスを身につけるには最適の書です。

 

その1 履苑 創刊号(1975年10月15日発行)巻頭言より

履苑3

私が、占いの道に手を染めたのは昭和二十九年である。かれこれ二十年以上たったことになる。少し大袈裟だが、この二十年という長い年月、占いとは一体なんだろうと考えなかった日はなかった。世間には古くは忠君道とか、孝親道などがあり、現代では生産につながるものの一切が立派な道である。戦後の間もないころは、饑がもたらした人心の荒廃からか、直接生産的でない道は、一時的にすっかり影を潜めた。占いの道も行き絶え絶えになった。 続きを読む その1 履苑 創刊号(1975年10月15日発行)巻頭言より