伯典よもやま話 その8 「赤ちゃんの命名法」から

「赤ちゃんの命名法」は昭和57年に主婦の友社から「はじめての赤ちゃんシリーズ」の一冊として発行された、その名の通り、姓名判断術をまとめた実用書です。時代は変化しているのに、略字はよくない、旧字を使うべきだ、というような過去の判断方法を退け、誰にでもわかり易く、生活の知恵として使える判断方法を紹介しているところが伯典流です。

それにしても実際のところ伯典のところには赤ちゃんの命名から改名まで、どれだけの依頼があったことでしょう。この著書に書かれているのは画数に基づく判断術ですが、実際には四柱推命や易なども駆使して命名や改名に取り組んでいました。名前を付けてから20年も経ったてから、子供が無事20歳を迎えたというお礼状が届くこともあったといいます。こういう連絡をいただけるのは易者冥利に尽きたのではないでしょうか。

名前は気になりはじめたら確かに気になるものです。改名することで飛躍する例も実際あるでしょう。芸能人では名前がその人の印象を決めることもあります。残念ながら、本書は現在出版されておらず、出版されていない著書からの引用で申し訳ありませんが、今回は「赤ちゃんの命名法」のなかから、「はじめに」と「赤ちゃんの名前を選ぶ前に」の一部をご紹介します。昭和57年と30年以上も前に書かれたものですが、現在にも通用するような指摘がなされていると思いますが、いかがでしょうか。

 

幸運を呼ぶ名前の付け方「赤ちゃんの命名法」

はじめに

生まれたばかりの赤ちゃんは、食欲、睡眠欲の二つしか持ち合わさない、本能だけの人間ですが、一年、三年、十年とたつうちに、どんどん成長していくのです。

そして時代の流れと言いますか、このごろの少年や青年は、自分の将来について、異常とも思えるほどの関心を持ちます。これはとてもいいことでしょう。

しかし、自分の将来に関心を持つわりには、努力を避ける傾向が見え、どことなく他力本願的な考えが強く、こうしたムードはかなり低年層にまで及んでいるのであります。それだからこそ、今日のような占いのブームがきたのではないでしょうか。

このためでしょう。私は、考えてもみなかった年少者から、改名の依頼を受けてとまどうことも再三です。こんな時に私は、両親が愛情をもってつけた名前だから、もう一度、考えなおせないか、と聞きますと、その答えは、親が、もっと生活とか、子どもの将来について真剣であったなら、こうした「姓名学」の存在くらい、知っていてもよかったと思う、と言います。

とにかく、だんだん自分の意志が身についてハッキリしてくるだけに、こうした感情は抑えても無理です。

この本には、赤ちゃんのよい名前を選ぶに必要なことは、秘伝とされていることまで、全部、書いてあります。

そしていらないもの、役に立たないものは捨て、重点的に、読みやすく、すぐ名前を選ぶのにお役に立つようにまとめました。

しかも、これまでは、羊の肉をかかげて狗(いぬ)の肉を売る感じのありました「姓名学」を、体験的な積み重ねによって会得する「術」、っまり「姓名術」に改めたのです。

時の流れは、休むことなく進んでいますのに、略字は意味がない、という考え方では、時代にマッチした開運は得ることができません。運命術は、人間が考えた“生活の知恵”的な開運術です。

ですから、この本は名前に関する生活の知恵の集大成です。

どうぞ、赤ちゃんのしあわせのためにお役立てください。それを私は、心から望んでいるのです。

昭和57年4月

 

赤ちゃんの名前を選ぶ前に

■愛をこめて両親の選ぶ名前

あなたが、胸をはずませて挙式された日から、今日まで、どのくらいの月日が流れているでしょう。

そしていつか若いあなたの、父となり母となる日が、すぐやってきます。

男の子、それとも女の子? まだ見ぬわが子の姿を想像して、たくさんの名前を選びながら、そのどれにもきめかねて、迷っている両親の様子が目に見えるようです。

わが子に対する愛は、盲日的であるなどと言われますが、これはごくあたりまえのことでしょう。

ですから、愛児の名前も、まず健康であってほしい。

こうした立派な人がいたから、できるだけそうなってほしい。

親や兄弟、姉妹に迷惑をかけないよい子になってほしい。

など、たくさんの希望と愛をこめて選ぶものです。

 

■なぜ改名するのだろう

あなたの愛と希望の象徴であるお子さんは、だんだん成長するにつれ、個人としての意志を身につけてきます。

これはあなた自身についても、同じようなことが言えるはずです。両親の考え方から離れて、あなただけの(それがよかったか、惡かったかは別として)考え方を持つようになっていきます。

そんなとき、ふとしたはずみで、自分の名前に、ハテナ? という疑間を持つ人が、案外、多いものです。

なんで名前に疑間を持つのか、これはとてもむずかしい間題ですが、世の中には、昔からつづいてきた“生活の知恵”とも呼ぶ、とても便利なものがあり、これの持つ精神的な晴示に、強くひかれるからでしょう。

またもう一つの考え方は、そうしたものがあるのに、なぜ、両親はその便利なものを使ってくれなかったのか、よし、それなら自分の手で考えてみたい、という積極的な開拓精神から出発していることもあるわけです。

 

■希望の持てる名前へのあこがれ

人間は、とても迷いやすく、そして弱いもの。健康で、仕事も順調に運び、家庭も円満なら、胸を張って堂々と歩きますが、反対に、病気で長く寝るとか、努力するわりにうまく仕事が運ばなかったり、家庭に病人が出たりしますと、宗教にこってみたり、易者の門をたたいたりするものです。

既成の宗教では、積極的な開運はとても望めそうになく、新興宗教がさかんなのも、それを裏書きしているとみていいでしょう。ところで、易者の門をたたきますと、いちばん手軽で、効果の多そうなのが、自分の名前を考える“姓名術”です。

とにかく話を聞けば、とても希望が持てます。人間は一生の間、まったく山や谷のない 人生を送ることはできないもので、それだけにツキのないときは弱いものです。これは、善人が必ず幸福になれるわけでもなく、悪人がきっと滅ぶとはきまっていないからでしょう。

ですから、弱っているときは、ワラをもっかみたくなり、希望の持てるものには、どうしても目が向いていきます。